渋沢 栄一

 渋沢栄一に関する情報を掲載しています。

概要

 明治・大正・昭和時代の幕臣・官僚・経営者です。
 富農の子として、埼玉県に生まれ、一橋慶喜に使えたことを期に幕臣となり、フランスなどを視察します。
 しかし渡欧中、大政奉還が起こり、明治政府となり帰国。帰国後には、大蔵省に入るなどしますが、退官後、第一国立銀行(現:みずほ銀行)の頭取に就任するなど、経営者として活動していくことになります。多くの地方銀行を設立したのみならず、東京瓦斯など多くの企業設立に携わるなどを行い、近代日本経済の父と呼ばれています。

名 前 渋沢栄一
読み方 しぶさわ えいいち
生没年 1840年3月16日(天保11年)~1931年(昭和6年)
出身地 武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)

ゆかり

 渋沢栄一に関係するゆかりの場所や関係する施設などを掲載しています。

渋沢栄一像

 渋沢栄一記念館や東京都千代田区の常盤橋公園、深谷駅前などに、渋沢栄一像があります。

icon-statue渋沢栄一像(渋沢栄一記念館)(埼玉県深谷市下手計1204)

icon-statue渋沢栄一像(常盤橋公園)(東京都千代田区大手町2丁目7-2)

icon-statue渋沢栄一像(深谷駅前)(埼玉県深谷市西島町3丁目7)

渋沢栄一記念館

 生誕地の深谷市には、渋沢栄一記念館があります。

icon-museum渋沢栄一記念館(埼玉県深谷市下手計1204)

渋沢史料館

 渋沢栄一の旧邸 「曖依村荘」跡に設立された博物館です。

icon-museum渋沢史料館(東京都北区西ヶ原2-16-1)

旧渋沢邸「中の家」

 渋沢栄一の妹夫妻によって建てられた建物で、渋沢栄一生誕地に建っています。

icon-house旧渋沢邸「中の家」(東京都江東区永代2丁目37)

渋沢栄一宅跡

 東京都江東区の渋沢栄一宅跡には看板が建っています。

icon-monument渋沢栄一宅跡(東京都江東区永代2丁目37)

渋沢栄一の墓

 東京都台東区の谷中霊園に、渋沢栄一の墓があります。

icon-tomb谷中霊園(東京都台東区谷中7丁目1)

年表

 渋沢栄一に関する年表・年譜です。

西暦(年号) 年齢 出来事
1840年
(天保2年)
0歳 富農・渋沢美雅の長男として、武蔵国血洗島で生まれる。
1853年
(寛永6年)
13歳 初めて江戸を見物する。
1858年
(安政5年)
18歳 尾高惇忠の妹・千代と結婚する。
1861年
(文久元年)
21歳 江戸に出て、海保漁村の塾生となる。
1863年
(文久3年)
23歳 9月 高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを計画するが中止。
11月 京都に上る
1864年
(元治元年)
24歳 2月 一橋家に出仕し、御用談所下役となる。
1865年
(慶応元年)
25歳 勘定組頭に取り立てられる。
1866年
(慶応2年)
26歳 御使番格に昇格する。
1867年
(慶応3年)
27歳 1月 パリ万博参加の徳川昭武使節団に随行して渡航する。
1868年
(明治元年)
28歳 2月 外国奉行支配調役に任ぜられる。
11月 帰国する。
12月 静岡藩勘定組頭に命じられるが辞退
1869年
(明治2年)
29歳 1月 静岡藩勘定頭支配同組頭格勝手掛老中手付、商法会所頭取を命じられる(静岡商法会所設立)。
10月 大蔵省租税正に就く。
1870年
(明治3年)
30歳 9月 租税正として大蔵少丞に昇格する。
1871年
(明治4年)
31歳 5月 大蔵権大丞になる。
6月 「立会略則」を著す。
11月 父・美雅死去
1872年
(明治5年)
32歳 東京会議所、養育院設立。
1873年
(明治6年)
33歳 5月 大蔵省を退職。
6月 第一国立銀行創立総会が開催される(総監役に就任)。
抄紙会社設立。
1875年
(明治8年)
35歳 1月 第一国立銀行頭取となる。
東京鉄道会社の設立を主導する。
ホイットニーを教師とする商法講習所開設。
1876年
(明治9年)
36歳 品川白煉瓦製造所の設立に関わる。
1877年
(明治10年)
37歳 銀行業者の教育・地位向上を図るため、択善会を組織する。
三井家の相談役となる。
1878年
(明治11年)
38歳 第一国立銀行釜山支店を開設する。
東京商法会議所を設立する。
1879年
(明治12年)
39歳 東京海上保険会社を設立する。
1881年
(明治14年)
41歳 日本鉄道会社を設立する。
1882年
(明治15年)
42歳 長女・歌子が穂積陳重と結婚する。
妻・千代が病没。
大阪紡績会社、共同運輸会社を設立する。
1883年
(明治16年)
43歳 兼子と再婚する。
1885年
(明治18年)
45歳 竜門社を発足する。
1886年
(明治19年)
46歳 京都織物株式会社創立発起人会。
1887年
(明治20年)
47歳 東京手形交換所を設立する。
1888年
(明治21年)
48歳 次女・琴子が阪谷芳郎と結婚する。
製藍会社を支援する。
東京女子館を開設する。
1889年
(明治22年)
49歳 北海道炭鉱鉄道株式会社を設立する。
渋沢同族会第1回会合が開かれる。
1893年
(明治26年)
53歳 東京瓦斯会社取締役会長となる。
1894年
(明治27年)
54歳 青木漁猟組に匿名組合員として出資する。
1895年
(明治28年)
55歳 青木商会を支援する。
1898年
(明治31年)
58歳 韓国を視察する。
1900年
(明治33年)
60歳 男爵となる。
大蔵商業学校を開設する。
韓国を視察する。
1901年
(明治34年)
61歳 京華商業学校開校
日本女子大学開学
1902年
(明治35年)
62歳 日本興業銀行を設立する。
欧米へ旅行する。
1906年
(明治39年)
66歳 韓国を視察する。
1909年
(明治42年)
69歳 1月 三女・愛子が明石照男と婚約する。
6月 第一銀行などを除いて、大半の関連事業より手を引く。
8月 渡米実業団とともに訪米する。
1912年
(明治45年)
72歳 長男・篤二の廃嫡方針が同族会で決定される。
帰一協会を設立する。
1914年
(大正3年)
74歳 高千穂高等商業学校開校
1915年
(大正4年)
75歳 4月 渋沢同族株式会社を設立する。
1916年
(大正5年)
76歳 実業界の第一線から引退する。
1919年
(大正8年)
79歳 大倉高等商業学校発足
協調会を設立する。
1920年
(大正9年)
80歳 子爵となる
1931年
(昭和6年)
91歳 11月11日 死去

参考

icon-book島田昌和『渋沢栄一』

icon-book東京商工会議所編『渋沢栄一 日本を創った実業人』


icon-memo他の人物については「人物一覧」を参照してください。

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